闘病の義母、やすらかに逝く
その人は、いつも太陽のように明るく、笑顔と前向きな気持ちを絶やさない人
そして、おおらかな愛をそそぐ人
2008年春、胸に小さなしこりが見つかり、乳がんとの診断
部分切除とリンパ郭清、その後転移の兆候なく一年が経過
2009年、春 骨転移を懸念してPET-CT 、腰椎に影のような部分を認めるが様子観察
しかし、初夏より足腰の弱りが進み介助を要する状態になっていき、あっという間に全身に転移していった。
義母の前向きな気持ちと明るさには、主治医も驚く程だった。
2月2日(火) 12:45 家族に見守られて・・・
私たち家族も何度となく、助けられてきました。
想い出は、語りつくせません・・・
しかし、進行する病気を前に人の力は何と無力なのか、またしても痛感させられました。
色々な事が走馬灯のように思い出されます。
そして、生きるとは・・・、人生ってどういうものなのか・・・、と思いを馳せる。
そんな 思いを胸に、現実のあわただしい、日常に戻ってゆく・・・。
ありがとうございました そして 安らかにお眠りください。
いつも、ブログを見ていただいている皆様、有難うございます。
なかなか、皆さんのブログにも行けないでいます。
また、少し元気がでたら、おじゃまします。
そして、おおらかな愛をそそぐ人
2008年春、胸に小さなしこりが見つかり、乳がんとの診断
部分切除とリンパ郭清、その後転移の兆候なく一年が経過
2009年、春 骨転移を懸念してPET-CT 、腰椎に影のような部分を認めるが様子観察
しかし、初夏より足腰の弱りが進み介助を要する状態になっていき、あっという間に全身に転移していった。
義母の前向きな気持ちと明るさには、主治医も驚く程だった。
2月2日(火) 12:45 家族に見守られて・・・
私たち家族も何度となく、助けられてきました。
想い出は、語りつくせません・・・
しかし、進行する病気を前に人の力は何と無力なのか、またしても痛感させられました。
色々な事が走馬灯のように思い出されます。
そして、生きるとは・・・、人生ってどういうものなのか・・・、と思いを馳せる。
そんな 思いを胸に、現実のあわただしい、日常に戻ってゆく・・・。
ありがとうございました そして 安らかにお眠りください。
いつも、ブログを見ていただいている皆様、有難うございます。
なかなか、皆さんのブログにも行けないでいます。
また、少し元気がでたら、おじゃまします。
この記事へのコメント
享年94歳、自分は仕事をしていたため最期の瞬間に立ち会うことが出来ませんでしたが家族や親戚に見送られながら穏やかに旅立っていったそうです・・・。
祖母も何度となく脳梗塞を繰り返しては驚異的な回復力を見せましたが、今回は一気に全身衰弱してしまい老衰により亡くなりました。
お通夜、告別式と冷たくなり四角い箱に納められた祖母の亡骸をみるたびに祖母との想い出が頭の中を走馬燈のように駆け巡り悲しく寂しい気持ちになりました・・・
そうですね・・・
>生きるとは・・・、人生ってどういうものなのか・・・、と思いを馳せる。
>そんな 思いを胸に、現実のあわただしい、日常に戻ってゆく・・・。
ホント、そうだと思います・・・祖母と永遠のお別れをしてとても悲しい思いをしながらも現実の慌ただしさに引き戻され、2週間たった今では心もだいぶ落ち着き慌ただしい毎日にもどりつつあります。
最後になりましたが、お母様のご冥福を心をよりお祈りいたします。
気ままさんの祖母さん、人生を全うされましたね。全ての人がいつかは通らねばならない最期のとき…、様々な人生のドラマがありますね。
人は、寂しさや苦難を乗り越えた分だけ強く優しくなっていくのかなぁ。
義母の姿を思い浮かべると、元気で誰かのために一生懸命になれる事は本当に幸せな事なんだなぁと感じます。
気ままさんの祖母様のご冥福を心より申し上げます。
癌は、やっぱり怖いですね。
昔、癌は、不治の病でしたが、早期であれば治癒可能な病気の一つになりつつあります。
とは、言うものの…、早期で発見することは、なかなかに難しいことだと思います。
癌の進行は、個人差がありますが、出血や痛みなどの症状が出てからでは殆どの場合、手遅れになっていることが多いと思います。
日本人の死亡原因の1位ですね。
大切な人が、日々弱り、苦しむ姿は辛いものがあります。そして、その現実をいつか自分のこととして受け入れざるを得ない日が来るのかもしれません。
GAKU様もお疲れが出ませんようにお祈り申し上げます。
義母の介護から葬儀、その後の様々な手続きなどは、次女が献身的にしてくれています。
本当に頭が下がる思いです。