連載「わが食堂車人生に悔いなし」を読んで・・・

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先日、私の鉄道好きを知って、いつもブログにコメントを頂いている「万年乙女」様より
新聞の切抜きを送っていただきました。

とても興味深く拝読させていただき感謝いたします。ありがとうございました。

2008.2.25から日本経済新聞夕刊に5回にわたって連載されていました。
この連載は、現・九州鉄道記念館館長代理宇都宮照信さんの半生を記したものです。昨年10月に「機関車に片思い」という自伝風の本も出版されています。

記事の中には、この3月で廃止になる急行「銀河」や「なは・あかつき」のことも載っていました。機関士になれず食堂車のコックとして鉄道に接されたことが、なおさら鉄道への憧れを深めていったのではないかと感じました。

急行「雲仙」で食堂車勤務が長かったようですが、人情味あふれるふれあいや苦労話はとても興味深く読ませていただきました。
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(写真は、多くの鉄道ファンに惜しまれながら廃止になった急行「雲仙・西海」の大阪駅での情景です。)

蒸気機関車が引退するという話を聞いては辞表を出し撮影に飛んでゆく、しかし食堂車に戻ってくるというのがいいですね。心底好きなものに接しながら仕事に打ち込める人生が
なんとも羨ましいと思いました。

記事に掲載されていた写真の中で、寝台特急「さくら」のヘッドマークを掲げた蒸気機関車C60の姿にしびれました。

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この記事へのコメント

2008年03月06日 12:07
物心が付いたときは、急行雲仙食堂車はなく、14系ハザ車で、九州ワイド周遊券利用などでよくお世話になった列車です。雲仙、西海、阿蘇、くにさきが14系ハザ車でしたね。
2008年03月06日 20:35
としおちゃん、いつもコメント有難うございます。私も急行に食堂車がある時代は知りませんが、大阪と九州を結ぶ列車は、今から思えばすごくたくさんあったんですね。
 0系新幹線ですが、今年の秋ごろでなくなるそうです。6編成あるうちの3編成は開業当時の白と青の塗装に戻されて運転されるそうですよ。
朝日子供新聞に載っていました。
2008年03月06日 21:56
鉄道に関わる職種は数多くあると思いますが、何らかの形で鉄道に接する仕事に就けるっていいですね。
自分も鉄道好きが高じて電気にも興味を持ち工業の電気科を卒業し地元のJRに就職しようとしましたが両親から激しく反対(両親曰く鉄道に将来はない!という理由で)されJRに入る事が出来ませんでした。
それから、ちょいと回り道をしてどういう訳か看護師をやってますが・・・・今でもノリ鉄やっていて運転士や車掌さんの姿を見るとあの時、なぜ親の反対を押し切ってでも鉄道屋(ポッポヤ)さんにならなかったのか!?・・・と思うときがあります。
もしあの時、鉄道屋の道を歩んでいたら・・・きっと違う人生を歩んでいたのでは?と思います。
こーたん
2008年03月06日 22:13
この宇都宮さんが現役の時にあさかぜの食堂車で働いている姿を追った記事を何かの雑誌で見たことがあります。
本当に鉄道好きな人なんだなと思った記憶があります。
好きなことに直接的でなく、間接的に関われたこそ楽しめたのでしょうね。
ある意味羨ましい人生の送り方です。
2008年03月06日 23:50
気ままさん、コメント有難うございます。
鉄道に関わる仕事は実に沢山ありますね。私は大学生になるまで食堂車や車内販売のスタッフは国鉄の職員だと思い込んでいました。
学生時代に一度、新幹線の車内販売のアルバイトに応募したことがありますが、履歴書の書類選考で落とされた覚えがあります。
 気ままさんも一度は鉄道人生を目指したのですね。私も若いときに「運転士も面白そうだな」と思ったことがあります。でも最近思うことは、電車の運転士は確認の連続、時間に非常にシビアなので大変な仕事だなぁと感じます。
2008年03月07日 00:08
こーたんさん、コメント有難うございます。
こーたんさんは、宇都宮さんの事を以前からご存知だったのですね。私はこの新聞記事で初めて「こうゆう人もいらっしゃるのだなぁ」と興味深く記事を読ませていただきました。
食堂車と言えば、今はトワイライトやカシオペアなどの超豪華列車にしかついていないですねぇ。

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